アソル・クレセント通りと対をなすコーツ・クレセント通りに沿った、ジョージ朝の建物群はエジンバラ・ニュータウン開発の西の部分でした。セシン登記簿では、コーツ・クレセント12番地の管財人はトマス・マリー・アレンで、日付は1835年10月12日・13日となっています。
1955年、歯科医のロバート・トムソン・アーマー所有の12番地をRSCDS管財人はこれを4,010ポンドで購入しました。書類上の管財人はジーン・ミリガン、フロレンス・レスリー、ミュリアル・ハドゥン、ドロシア・ヴォーンとなっています.
コーツ・クレセント12番地はRSCDSの本部となり、以来スタッフ・チームの本拠、資料庫、世界からの記録収集センターとなっています。
装飾の1つにミス・ミリガンの油彩ポートレートがあり、80 x 100cm の絵は会議室の南側に掲げられています。このアイデアは1960年パースの年次総会で提案されたもので、1961年3月の総務委員会で承認されました。エジンバラの肖像・風景画家、ヘンリー・レイバーン・ドブスン(1901-1985)の作品です。
近くにお立ち寄りの際は、ハーイと声をおかけください。スコットランド史の一片をお訪ねください。
みなさんはコーツ・クレセント12番地のために作られたダンスをご存じですか? EH3 7AFがそれで、事務所の郵便番号にちなんでいます。